さて、今日も何か綴ろうかなと思います。
今日は、シーシャバーの1周年のお祝いに参加してきました。少し吸い過ぎたかもしれませんが、賑やかで懐かしい雰囲気があって、とても良かったです。コーヒーを2杯飲んで、ずっとタバコを吸っていたせいか、ちょっとだけ余韻がありますが、それも含めて心地よい時間でした。
こういう集まりにいると、幼い頃の情景や感覚をふと思い出します。そんな気分の流れで、昔の映画を観たくなって、『我が谷は緑なりき』(原題 How Green Was My Valley、1941年、ジョン・フォード監督)を思い出してちょっとだけ観ました。白黒映画で、舞台は昔のイギリスの炭鉱町。主人公は少年で、成長して谷を離れる直前、緑に満ちた故郷と家族みんなが揃っていた幸せな日々を回想する、という始まりです。
戦前の物語で、日本での公開は1950年。自分の生まれるずっと前の話なのに、なぜか懐かしく感じる。炭鉱の町で少年が懸命に生きる姿に、自分を重ねてしまいます。学校はなく、父から働き方や生き方を学び、牧師から言葉や文字を教わる――そんな時代背景もまた魅力的です。牧師も良い人物で、生活の根源に根差した人間らしさが描かれています。
この映画を観ていると、『ロミオの青い空』を思い出します。古き良き、人が必死に生きる姿に惹かれるのです。似た感覚を抱く作品としては、フランス映画『大人は判ってくれない』もあります。こちらは少し暗めで不幸寄りですが、やはり心に残ります。
そして、もうひとつ思い出すのがアルベール・カミュの小説『異邦人』。主人公ムルソーの、我慢強く最後まで言わない姿勢や、どこか現実的で諦観を帯びた生き方に、自分を重ねる部分があります。時代背景も含めて、何度も読み返したくなる作品です。
何か自分の中で無意識に感じていることがあるみたいですねぇ。
何か経営やシーシャバーでのお客様とお店の関係性や
そういったことを観察して、改めてその営みに感慨深いところを感じていたようです
そういえば、花屋で包んでもらう際に
店主のじぃちゃんが僕をみて
花は旧約聖書の時代から存在する人類のプリミティブなコミュニケーションであること、
着飾らず一輪でも良いからそれをただ渡すだけでも
気持ちが伝わるということを
教えてくれたこともあって
なぜだか今日一日不思議な体験をした気がするのです。
今日は、そんな映画や小説を通して、自分の人生や価値観と重なる部分を改めて感じました。また続きを観たり読んだりして、さらに掘り下げていきたいと思います。
うーん。でも映画観ないとなぁ。
不思議な花屋のじぃちゃんだったなぁ。
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